BALLON JOURNAL Vol.50

BALLON JOURNAL Vol.50

儚くも美しく燃え

ヒュルルルルル〜〜〜ーードッカーーーーーン!!!!!パラパラパラ……

真っ盛りな夏と言えば花火!花火は大好きだ。ある一夏、暇だったから首都圏の花火大会を殆ど制覇したことがある(笑)。花火の何が良いって、夜だし、綺麗だし、デカいし、鮮やか。そして一瞬。そう、この一瞬が重要なのだ。美しいものは短くなくてはならない。それにより美が増幅されるから。香りも時間の差はあれど消えてなくなる。その時にしか存在しない美だからラグジュアリーであり貴重なのだ。

俳優であり写真家の安藤政信も言っていた。花火を撮りに巡るらしい。彼の写真家としての活動は俳優業ほど知られていないと思うが、作品はどこか死が香り、危うげに美しい。花火が好きなのも頷ける。

映画もそう。極彩色で耽美的な映画を撮った巨匠鈴木清順は、「花火のように華々しく、ぱっと開いてぱっと散る。映画はそういうもの」と発言している。記録メディアであっても映画館で封切りされたらそこまで、と滅びの美学として捉えていたらしい。

つまり美しいものは儚いのだ。





もちろん音楽も儚いラグジュアリーの極致。ドビュッシーは、ピアノ音楽史に足跡を残した傑作である前奏曲集第2巻の終曲、つまり全24曲のトリを飾る曲に『花火』と題した作品を残している。革命記念日のパリ祭を描いた曲だ。冒頭の三連符に乗った和音が段々と近づいてきて、盛大な和音がドーンと鳴る。ラストはトリルの騒めきの中、パリジャン・パリジェンヌが歌っているのだろうか、フランス国歌のラ・マルセイエーズが聞こえてくる。そんな情景を見事に音で描写した名曲だ。

現在でもフランスでは、7月14日のその日にその祝祭をテレビ中継し、夜に大輪の花火が咲く模様を報道する。帝政から民主制へと国家のあり方が変わった日であり、現代への扉が開かれた日ということだ。ドビュッシーはそんな日をテーマにした曲で新たな音楽を切り開いたのだ。

パリ祭の花火は結構凄い。




さて、新型コロナウイルスの流行はあれど、花火大会は開催されているようだ。じとーーーっと湿度高い中集まる人々。人間の体臭と夏の夜の空気と花火の硝煙の匂い。もし花火大会に出掛けることがあれば、その香りを記憶に残そう。


by writer Mitsuhiro Ebihara
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