BALLON JOURNAL VOL.6

BALLON JOURNAL VOL.6

 

五感のなかで唯一脳にダイレクトに伝わるといわれる嗅覚。鼻腔から入った芳香成分は電気信号に変わり、感情や記憶、睡眠をつかさどる脳の中枢へ到達。その速度は、わずか0.2秒以下と言われている。

ヨーロッパの教会に漂う重厚な香り、夏休みに訪れた高原の緑の匂い、……香りは一瞬にして記憶と結びつき、自在に時間を巻き戻して、かつて訪れたあの場所へと私たちを飛び立たせる。そう、それはまるで旅するように。

0.2秒で時空も空間も飛び越える都市移動の旅へ。

  

 

STORY 03. 長崎
〜ノスタルジックなキンモクセイに誘われて。〜

 キンモクセイはその育てやすさからか、庭に植える人も多いらしく、秋の気配が充満してきた頃に町中からその香りが漂ってくる。そこかしこの家の庭から放たれる、どこか懐かしい独特なグリーン系の甘いフローラルな香りで、私は秋の本格的な訪れを知る。

  

 

海と山に囲まれた歴史深い街。海が見える高台の一軒家。

 

子供の頃、父親の転勤の関係で長崎県に住んでいたことがある。

ちょうど小学生の3年生から6年生の途中までというヤンチャ期と思春期の入り口あたりで、自分の人格形成にもかなりの影響を与えたと言っても過言ではない、大好きな街だ。

 

それはプッチーニのオペラ「マダム・バタフライ」の蝶々婦人の出自とされている、海と山に囲まれた歴史深い街。街のそこかしこに古い城跡があり、海には無数の無人島。家の周りには広大な田んぼや畑、山と海に川。東京近郊のベッドタウンのよくある住宅街で生まれ育った私には全てが新鮮で、街にあるもの全てが私の遊び場だった。

 

海なし県で育った父の希望で海が見える高台の一軒家が私達の家となった。

 

庭には1本、割としっかりとしたキンモクセイの木があり、秋になるとオレンジ色の可憐な小さな花々が放つかぐわしい香りで庭がいっぱいになったのを覚えている。

 

生まれて初めて作ったポプリ。

 

私が生まれて初めて作った香りに関連するものはキンモクセイのポプリだった。

 

私はその甘くなんとも言えない独特の香りに魅せられ、なんとかその香りをとどめたくて、初めて学校の図書室で「ポプリの作り方」なるものを調べ、通学を一緒にしていた近所の同級生と妹と毎日キンモクセイの花を収穫した。

 

 ポプリ作りにはシナモンやクローブといったスパイスが必要だと教本には書いてあったものの、田舎町のスーパーマーケットには当時そんなものは売られてはいなかった。母に聞いてもこれという答えは返ってこなかったので、ただただ毎朝ひたすら花を採取しては小さな布袋や筆箱や小瓶に詰めていくだけの何とも幼稚なものだったけれど、朝のキンモクセイの花の香りがフレッシュなものからグリーンめいた香りに、一日の間にもだんだんと変質していく様子を毎日観察するのは楽しく、複数年にわたって私の秋の定例イベントとなった。

 

キンモクセイのポプリに適しているのは塩で漬けるモイストポプリだとか、実はキンモクセイの香りを抽出することは大変に難しく、膨大な量の花と技術が必要となる大変な貴重なものだとかを知るのは、ずいぶんと大人になった最近のこと。キンモクセイの花を白ワインで3年間漬け込んだ、中国の四大美女で名高い楊貴妃も愛したとされる香しいお酒「桂花陳酒」の存在も。

 

 

ノスタルジックなキンモクセイの香りに懐かしい思いを馳せて。

 

なんとなくメランコリックな気分になる秋の夜長、ゆったりとバスタイムを過ごせるようなキンモクセイのバスソルトができた。

 

秋のからりとした朝、キンモクセイの花を袋いっぱいに詰めて、空を写した青い海に向かってまっすぐに延びる急な下り坂、ランドセルを鳴らして走ったあの街のことを、懐かしく思い出しながら作った。その遠くまで届く香りから「千里香」とも称されたキンモクセイの香りにのせて、思うさまゆるゆると思いを馳せながら。

 

ゆったりと桂花陳酒でも傾けながら、この美しい季節を過ごしたい。

 

遠くの街や懐かしい友人たちを思いつつ、
秋の猛烈なノスタルジックな気分とともに。

 

Creative director Izumi Suzuki

 

今回ご紹介した香り:KINMOKUSEI
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