BALLON JOURNAL Vol.52

BALLON JOURNAL Vol.52

小さな手の神秘家、スクリャービン

今年生誕150周年の作曲家アレクサンドル・スクリャービンは、小柄だった。160cmほどの体躯で病弱。ピアノのための作品を多く残したが、身長に比例して手も小さかったらしい。モスクワ音楽院で同期のラフマニノフとは対照的だ。

スクリャービンはピアノが大変上手だった。音楽院でピアニストとして将来を嘱望されたのはスクリャービンで、作曲家として期待されたのはラフマニノフだったという。それほどの腕前だったが、音楽院でリストの超絶技巧曲を練習しすぎて右手を壊してしまう。

ピアニストにとって手はただ大きければいいというわけではないが、大きい方が有利ではある。大きければ相対的に指も長く、いろいろな音が同時に楽に押さえられるはずだからだ。しかし、スクリャービンは8度(1オクターヴ、ドから次のドまで)しか届かなかったようだ。日本人男性で大体9度、ちょっと大きくて10度という人が多いだろう。

つまり1オクターヴは最低限度という形容が相応しく、多くの曲で和音をずらす部分が生じたであろう。むしろ彼は諦めており、どうせ届かないから、ずらす前提で書いている作品がとにかく多い。12度(ドから二つ上のソまで)の和音など普通だ。

対してラフマニノフは、身長2mくらいあり、手も滅茶苦茶大きかった。広げると親指から小指まで30cmあったらしい。そして13度(ドから二つ上のラまで)届いたという。しかもただ巨大であったわけではない。ヴァン・クライバーンやニコライ・ペトロフなど西洋人なら13度届くピアニストはいる。ラフマニノフの指は柔軟性が高く、先に行くほど細くなっていったという。これは彼がマルファン症候群という巨人症だったためと考えられる。

この特殊性によりラフマニノフは、右手でドを人差し指、ミを中指、ソを薬指、一つ上のドを小指(ここで殆どの人が無理だと思う)で押さえたまま、残っている親指で下をくぐり小指の先にあるミを弾くことが出来たという。想像すると曲芸じみている。

なんだかスクリャービンが書いた広範囲にわたる音域は盟友ラフマニノフなら簡単につかめるのではないかと思ってしまう(笑)。ロシアの世紀末・銀の時代を代表する芸術家2トップはこんなデコボココンビだったのだ。

さて足フェチも多いけれど、手もフェティッシュだ。スクリャービンの非現実的な和音を弾く時いつも思う。なぜ手はフェティッシュなのか。それは人がものを作り出すとき、絶対に使うのが手だからであろう。銀座のシャネル・ネクサスホールでは今年、シャネルのオートクチュールを生み出す職人たちの手にフォーカスした写真展を催していた。手を動かすことで人は知を生み出し、そして人はその手に惹かれる。音楽家も正に手を動かし音を紡ぎ、聴衆を陶酔させる。特にピアニストの手は形も生み出す音も美しい。官能の商売道具だ。

スクリャービン『詩曲 炎へ向かって』



その官能をプロダクトにできないかと考えた。手を石膏で取り、スクリャービンの曲をテーマとしたフレグランスを垂らせば二重に官能的だろう。2022-23年スクリャービンとラフマニノフのプログラムを組んでいるピアニスト・福間洸太朗氏にスクリャービン晩年の傑作『詩曲 炎へ向かって』の和音部分を型取らせてもらった。以前彼を取材した際、スクリャービンが最も好きな作曲家と言っていたことを覚えていた。垂らすアロマオイルはもちろん同曲をイメージしたもの。トップノートに熊本県産の柑橘・不知火が燃え立ち、イランイランが官能的にたなびく。


 

また福間氏のインタビュー、作曲家・湯山昭氏の娘にして著述家であられる湯山玲子氏による手にまつわるエッセイが入ったブックレットも付録。左右の手で内容が異なるという遊びも加えている。

携えれば『ジョジョの奇妙な冒険』第4部のボス吉良吉影の気分になること間違いなし。晩年、女性が片腕を貸すという妖艶な傑作『片腕』を著した文豪・川端康成は手型を書斎のデスクに据えていた。ぜひこの手のオーナメントを自宅のデスク、ピアノの上に置いて愛でてほしい。空間を異次元に変えてくれる。そしてオイルを垂らせば匂い立つほど官能的な時間になるはずだ。

>BALLON×La Nuit(ラニュイ)×福間 洸太朗 アンサンブルプロジェクト 「詩曲 炎へ向かって アロマオーナメントセット」

 

by writer Mitsuhiro Ebihara

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