BALLON JOURNAL VOL.5

 

時をたゆたう映画『Le Voyage en Ballon

By editor MITSUHIRO EBIHARA
 

旅する映画

 

新型コロナウイルス感染拡大により、緊急事態宣言が解かれたとはいえ、遠出はまだまだ憚られる。海外渡航は依然として難しい。そして仕事も家から出ず、在宅で執務することが増えているだろう。そんな折は映画でトリップするのはいかがだろうか。 

人は旅を様々に想像し、創造してきた。映画は可能な旅も不可能な旅も視覚に聴覚に訴えてくれる。

例えば、『セブンイヤーズ・イン・チベット』(ジャン・ジャック・アノー監督)の政治的な秘境体験、『メメント』(クリストファー・ノーラン監督)の記憶の狂気的彷徨(ちなみに『メメント』はノーランの出世作。インセプションなど難解映画で評価される彼の才能の萌芽を存分に体験できる)、『ハングオーバー』(トッド・フィリップス監督)のめちゃくちゃ笑えるワンナイトトリップ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス監督)という夢あるタイムトラベル、そして『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督)という人類の謎へ迫るスペースオデッセイなど旅をテーマとする名作フィルムはストーリーも絵作りも興味深い。

 

 

Le Voyage en BALLON

 

1960年公開のフランス映画『Le Voyage en BALLON(素晴らしい風船旅行)』はその名の通り風船=気球でフランスを旅する物語だ。パリの匂い、地方の田園の匂い、海の匂いなどどこか香りが立ち上ってくる。

 

内容は、少年と気球を発明した祖父のロードムービー。飛行機より低く、ドローンより高いその鳥瞰は今観ると新鮮でモダン。パリ、ブルターニュ、アルプスなどフランス各地を飛んで巡り、ゆったりと住民とコミュニケーションしつつ進んでいくのは気球でしかなしえない旅だろう。現代においてゆったりと旅をするにはクルーズか寝台特急くらいのもの。観ているとステイホーム時間をゆっくりと進めてくれる。

 

発明家の祖父と孫の新たな試みへの挑戦、そしてもちろん旅らしく予期しないアクシデントが起こる。そもそも祖父にとって孫が気球に乗り込むのも事件なのだが……。地上から二人を車で追うコミカルな助手やレトロなBGMは、ほっこりとポジティブな気分にさせてくれる。

 

人は大空にあこがれ続けてきた。今でこそ飛行機という現代文明の利器が長距離移動を快適に進歩させたが、生身がさらけ出された気球で間近に風景を見ながら移動することはなかなか体験できることではない。

 

ラストは意外な結末で終わる。ここでは詳細は触れないが、なんだか少年の成長物語のようでもある。上映時間は1時間20分。このスマホ全盛の現代に何物にも邪魔されない1時間20分を切り出すのはとても贅沢なことではないだろうか。

 

 

 

 

BALLONの香りで時をたゆたう

この映画はBALLONのインスピレーション源だ。BALLONのロゴマークには気球が飛ぶ。この映画のようにゆったりとした余裕のある贅沢な時間を香りで豊かに過ごしてほしいとの意図だ。クラシックだがモダン、どこか親密な感じがするのもこの映画に通ずる。

 

石膏のオーナメントにアロマオイルを垂らし、今までにないアイテムで市場を切り拓いてきた。以降、道なき道を、空という無限の道を巡る気球のようにたどり、豊かな香りの時間を作り出している。香りの旅だ。

 

人生は旅とよく形容されるが、あらゆる要素が必要となってくるからではないだろうか。旅は究極なのだ。衣食・寝る場所、費用に十分な時間が必要、そして予測不可能な事件はつきものだ。まるで人生だ。ちなみにエルメス、ルイ・ヴィトン、グッチなど今をときめくラグジュアリーブランドも貴族ら富裕層が旅行の際に携えるバッグから発祥した。つまり旅は単なる移動ではなく快楽であり、そしてできることなら豊かでありたい。

 

ぜひステイホームの旅で、部屋を香らせながら『Le Voyage en BALLON』を観てほしい。そして時間と豊かさについて考えて欲しい。物質的貧困は世界の経済成長により、特に日本など先進諸国では減少している。しかし時間的貧困はむしろ増えているのではないだろうか。スマートフォンというデバイスによっていつでもどこでも世界中から連絡が来る。返答が迫られる。仕事であれば無視するわけにはいかない。

 

以前エルメスのメンズデザイナー、ヴェロニク・ニシャニアンに会った時、「自分は哲学者からゆっくりと時を進める能力を持っていると評された」と語っていた。目まぐるしく時代が変わり、情報があふれる中、自ら時を止めてみるのはいかがだろう?新型コロナウイルスは痛ましい疫病であるが、時と人の関係を考えさせる契機にもなったのではないだろうか。

 

豊かさを改めて考えようではないか。