出会いというカオス
人との出会いは誠に不思議である。運命の出会いがあるかもしれないが、運命のすれ違いもあるかもしれない。平野啓一郎著『マチネの終わりに』は、そんな男女の恋愛模様を描いた恋愛小説だ。
福山雅治、石田ゆり子主演で映画化されたので知っている人も多いだろう(私は未視聴、映画は評価が低いようだ)。少し作者を説明しておくと、京都大学在学中に書いた『日蝕』で芥川賞を受賞。当時23歳で大変話題となった。小説家を目指したきっかけは三島由紀夫の『金閣寺』を読んで日本語の煌めきを感じたからという言の通り、『日蝕』は語彙が非常に難解。しかも森鴎外のような文語体で、読み通せなかった(笑)。なので、『マチネの終わりに』も、未だにガチ難しい作風だったらどうしよう……と、恐る恐る手に取ったというのが正直なところだ。
そのむしろペダンティックな期待は見事に裏切られ、『マチネの終わりに』はとても読みやすい。が、しかし格調高さもある文で綴られる現代小説となっていた。40歳という独特の繊細で不安な年齢に差し掛かる天才クラシックギタリストの男とジャーナリストの女が、男のコンサート後に出会う。コンサートの打ち上げで話が合い惹かれ合うが、その晩は別れる。
再会する予定だったが、男の師のアクシデントや信頼していた人による恣意的な妨害により、大きな誤解が生じ、すれ違う。そして2人は長く断絶する。お互いパートナーを決めながらも、お互いのことは忘れられない。そして時が経ち、男の昼の復帰公演=マチネの終了後に再会することになる。というのがとても大雑把な筋書きだ。
2人には実在のモデルがいるという。おそらく男はあの天才日本人ギタリストであろう。しかし、物語はあまねく事実でないと序文に書かれている。しかし、虚構をまとわせることでしか書けない秘密があるともある。つまり小説というフィクションによりモデルの間の感情の真実を書き、かなうことのない現実を2人へ捧げたのであろう。
この原稿を書いていて、思い出した映画がある。ジョン・キューザック&ケイト・ベッキンセール主演の『セレンディピティ』だ。幸福な偶然という意味のこの映画は、『マチネの終わりに』をコミカル&ハッピーにした感じのラブコメ。偶然出会った2人が運命を試すためにあえて別れ、数年後に再会するというストーリーだ。さすがハリウッド!というつくりでテンポよく進んでいく。その展開は、高校の卒業旅行のハワイ行きの飛行機の中の退屈を瞬殺してくれた(笑)。
これら2つの物語から、たとえフィクションであっても、世の中はやはりカオス理論だなと思わせられるのだ。歯車が噛み合い、連動して進むように、すべての出会いはどこかから巡ってきた運命であり、すれ違うのはその時出会う必要が無いから。そんな気がする。当事者には嚙み合っていない歯車も、他者では嚙み合っていたりする。『平家物語』のような諸行無常の前に人はただ無力であるのだ。
さて、ジトっと深刻か、カラっと楽天的に運命の出会いを鑑賞するかは好みを選んでもらいたい。4月からの新年度、新たな出会いの中にセレンディピティが潜んでいるかもしれない。
by writer Mitsuhiro Ebihara