BALLON JOURNAL Vol.40

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告別、不在は2年続き、今年は再会なるか

3月と言えば別れの季節。別れに関する曲は、ショパンの「別れの曲」「別れのワルツ」などどれも感傷的で寂寥感に満ちた曲調だ。しかしベートーヴェンのピアノソナタ26番「告別」は、別れからその先への光に満ちている。

ベートーヴェンのピアノソナタと言えば「悲愴」「月光」「熱情」「ワルトシュタイン」、後期の30〜32番が代表的なところだが、ちょっとマイナーな26番は内容的にも技巧的にもこれらに引けを取らない。

26番が書かれたのは1809~1810年。ナポレオンのオーストリア侵攻のため、ベートーヴェンの友人であり弟子でありパトロンでもあったルドルフ大公がウィーンから退避することに際して書かれた。告別というのは、ベートーヴェン自ら第一楽章に掲げた標題のことであり、第二楽章、第三楽章それぞれにも、「不在」「再会」と標題を掲げている。

ベートーヴェン自身が標題を付けるのは珍しく、ピアノソナタでは「悲愴」とこの26番しかない。それほど親愛なる友人への思いを込めた曲だったことがうかがい知れる。

それぞれの標題はルドルフ大公の状態を示しており、大公が発ち(告別)、ウィーンを空けていた期間(不在)、オーストリアが降伏しフランス軍が撤退、大公がウィーンに戻るまで(再会)を示している。告別はドイツ語でDas Lebewohlと表記されており、これはとても親愛する人へ向けて用いられる表現であることから、大公との友情をうかがわせる。

ルドルフ大公はプロ並みのピアニストで作曲もした。そしてベートーヴェンの最期まで年金を贈り続けた。そのため、ベートーヴェンから様々な曲を献呈されている。26番と同時期に書かれた、ピアノ協奏曲5番「皇帝」を献呈され、初演も担っているほどのピアノの腕前だ。

さて、コロナ禍になる直前の3月、ハンガリー出身のピアニスト、アンドラーシュ・シフが奇跡的に来日し、ライブで26番に接したことを思い出す。バッハ、ブラームスなどと共に奏されたが、ベートーヴェンになるとテクスチュアが分厚く、とてもシンフォニックな響きになったことを覚えている。この公演の直後、日本でも緊急事態宣言が施行され、以来遠方とは分断された日々が2年間続いている。正にソナタ26番のように、告別となり、さまざまな近しい人が不在となった。


感傷的にならず輝かしい未来への希望を感じさせる楽聖のソナタのように、別れの季節である3月を過ぎたのち、様々な再会がやってくることを願ってやまない。煌びやかなパッセージ、豪奢なオクターブの主題と分散和音の伴奏により華々しい第3楽章は、再会への喝采だ。この15分の難曲は、コロナ禍で分断された今聴くことでより一層深みを増してくる。


by writer Mitsuhiro Ebihara 

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