幻想の旅を乱歩する
江戸川乱歩の怪奇趣味が堪らない。幻の世界へトリップさせてくれる。旅に文庫本を1冊持ち込めば夢幻の時の齎してくれる。
コロナ禍で遠出が憚られる今、列車の旅が増えているのではないだろうか。ガタンゴトンと車窓を見ながら数時間揺られる時間は悪くない。飛行機とは違って景色を楽しめるから、乗車の時間から旅気分が上がる。地域の駅弁を楽しめるのも情緒があってよい。だから鉄道マニアが多いのかもしれない。
列車は結構奇妙な空間だと思う。見ず知らずの人と近い距離で居合わせることになる。様々な人が乗り合わせ、他者に対して無防備。ちょっとした魔境なのだ。鉄道の旅で魔境に入れるなら少しワクワクする。そんな列車での不思議な体験を書いたのが江戸川乱歩の小説『押絵と旅する男』。自作に厳しい乱歩が、最も無難な作品と評した傑作短編だ。
舞台は新潟・魚津から東京・上野へ帰る道中の汽車の中。魚津は蜃気楼の名所で、主人公は見に行った帰りだ。車内の乗客は主人公と奇妙な壮年の男のみ。なぜかこの奇妙な男が気になり、男が持つ押絵の話を聞くことになる。押絵とは、綿を入れて立体的に膨らんだ絵で、現代だと羽子板の装飾に用いられることが多いだろう。
押絵に描かれた仲睦まじい男女のカップルが妙に生々しい。違和感を感じるのはそれだけではない。女の押絵が若いのに対し、男の押絵は白髪に皺が目立ち、ずいぶん年の差がある。また男の方はその持ち主にそっくりだった。
話を聞くと、30年ほど前の明治28年、男の兄がこの押絵の中の女性に惚れる余り、押絵の中に入ってしまったのだという。ゆえに元々作りものである女性は若いままなのだが、兄は押絵の中で年を取っていってしまう。その老いも精妙に押絵で再現されている。
話の中には、レンズや浅草など乱歩が好むモチーフが出てくる。押絵の中に入ってしまった理由は、双眼鏡を逆に覗くことで縮小されてしまったため。そんな奇異な話なのだが、明治の頃の浅草はそんなことが起こっても不思議ではない異界だった。凌雲閣という12階建てのタワーがあり、東京を眺望できた。浅草寺の周りには見世物小屋など不思議な興行があり、下町庶民の遊び場だったのだろう。観光名所の現在でも浅草六区やホッピー通りなどちょっと異空間を感じる。
さて、思い出話を語り終えると、男は途中で下車する。プラットフォームを歩く黒づくめの出で立ちは夜の闇に溶け込んで消えてしまった。果たして男は実在したのだろうか?そう、車中の話自体が蜃気楼のようなのだ。主人公が車中で微睡んだ夢の内容かもしれない。数十ページの中で現実と夢を行き来するのだ。冒頭の魚津からこれを暗示している。
江戸川乱歩はサインを頼まれると必ず下記の文を添えたという。
「うつしよは夢 よるの夢こそまこと」
または、
「昼は夢 夜ぞ現」
彼の座右の銘だ。実に幻想的な作品を著した乱歩らしい。闇を愛し、土蔵の中で作品を書いた乱歩。そうでなければこんなじとっと陰湿な小説は書けないだろう。因みに池袋の立教大学にその土蔵が保存されている。
9月も蒸し暑い日本。濃密な空気の中では陽炎が立ち上る。幻想の旅は近くにあるのではないだろうか。
by writer Mitsuhiro Ebihara