BALLON JOURNAL Vol.18

BALLON JOURNAL Vol.18

薔薇とドビュッシーが生む耽美な時間

 

薔薇というと今も昔も何となく退廃と官能をイメージしないだろうか。

渋澤龍彦が編集した伝説の雑誌『血と薔薇』に、こうある。“薔薇とは、この決して凝固しない血を流しつづける傷口にも似た、対立と融合におけるエロス的情況を象徴するものである”。つまり薔薇はエロスの象徴だ。

『血と薔薇』は、エロティシズムと残酷の総合研究誌を標榜し、三島由紀夫や稲垣足穂、種村季弘らが筆を取り、細江英公や奈良原一高、篠山紀信らがシャッターを押すという戦後のアウトローな日本文化を作り上げた才能達による豪華な雑誌。三島のヌード、フェティシズム、吸血鬼など耽美中の耽美を極める内容で知的にエロを考察。今や世界に評価される日本人写真家によるビジュアルはどのファッション誌にも引けを取らず、血のように鮮烈で薔薇のように匂い立つ。ジトっとした日本の美に溢れんばかりだ。河出文庫で復刊されているので気になる人は手に取ってみよう。

薔薇は古くからフランスの宮廷に愛され、歴代ルイ○○世やマリー・アントワネット、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌなどが好んだ。近代化し、美が溢れたベルエポックのパリで活躍した象徴主義の詩人ステファヌ・マラルメによる退廃的な詩『牧神の午後』でも薔薇が出て来る。

夏の昼下がり、ニンフ(精霊)の水浴びにムラっとした好色な牧神が彼女らを薔薇の茂みへ誘い込むという白日のエロスが描かれている。残念なことに結末でニンフたちに逃げられてしまうのだが。

この詩を音楽化したのがクロード・ドビュッシーの傑作『牧神の午後への前奏曲』だ。この曲は音楽史における記念碑的作品で、ここから印象派が始まった。牧神が吹く葦笛を模したフルートのC#から始まる、あえて華やかでないモヤっとした音域は昼下がりのぼんやりした牧神の意識のようだ。徐々に高まっていく曲想と共に牧神の興奮を感じさせる。

遅すぎて官能感がより高まるチェリビダッケ指揮が凄い。

 

更にこの曲からインスパイアされ、当時人気絶頂だったロシアのバレエ団「バレエ・リュス」のプリンシパル、ヴァーツラフ・ニジンスキーがバレエ化。アヴァンギャルドな振り付けに、性的なラストが物議をかもした。

また現代では、フランスを代表するピアニスト、アレクサンドル・タローはピアノ独奏に編曲し、ダンサーの舞踏と共演するという野心的な映像を作っている。一般的なクラシック音楽演奏に止まらない試みを行っているタローらしい。



と、美術・音楽史においてセンセーショナルな『牧神の午後』だが、薔薇の芳香に包まれると誰もが心地良く常軌を逸するのかもしれない。それほど蠱惑的な薫香が溢れる花だ。薔薇のあの芳香と絢爛な花弁とは裏腹に茎にある棘がまた感興を唆るではないか。

薔薇を生む人はクラシック音楽が好きなのかボレロ、ラプソディー・イン・ブルー、モーツァルト、パガニーニなどなど作曲者や曲名、形式を品種の名に用いている。曲を聴かせながら栽培すると効果があるとかいう説もあるから実際薔薇に聴かせているのかもしれない。フランスの宮廷、サロンはこれとは逆に薔薇の香り漂う中演奏を聴いていただろう。現代でも薔薇と音楽をペアリングして耽美な時間を過ごしてみてはいかがだろうか。


by writer Mitsuhiro Ebihara 

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