交響曲をあえてピアノで聴く春
春!というと爽やかで、何かが始まるポジティブな気分な季節だろう。楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」は1楽章の冒頭を聴くだけで気分は爽やかな季節へトリップする。さまざまな声部が入り混じり構成する田園風景は、風のそよぎ、鳥の鳴き声、草木の香りを彷彿とさせ、快いことこの上ない。
曲名は知らずとも、絶対どこかで耳にしたことがあるだろう、あまりに有名なこのメロディーはラベンダーやユーカリが混ざり合うハーバルブレンドのスプレーを一吹きした時のようにフレッシュで爽快。聴くとリラックスし、空間に春が咲く。
オーケストラで聴くのはもちろん良いが、幼少の頃ベートーヴェンに祝された大ピアニストで作曲家のフランツ・リストが彼の交響曲全9曲をピアノ独奏に編曲していることはほとんど知られていない。この大胆不敵な、リスト編曲ピアノ1台バージョンを聴いてみるのはいかがだろうか。
ピアノ1台でオーケストラを再現するのだから、技術的に難しいのは想像に難くない。そのため、マイナーなのもしかりで生憎録音が少ないのだが、カリスマ的人気を誇る天才ピアニスト、グレン・グールドがレコーディングしているので手に入れやすい。グールドはカナダが生んだ突然変異的天才だ。複数の旋律が進行する対位法で作曲された複音楽を現代ピアノでモダンに弾くために神によって遣わされたような存在だろう。四つ、五つのメロディーが入り組むバッハのフーガを聴き分け、いともたやすく弾きこなすグールドらしく、交響曲の多声部をこれまた明晰に弾き分けてゆく。旋律も音色も別々に奏でるその演奏は10人の質問を同時に聴き分けたと言われる聖徳太子を想像すると分かりやすい(笑)。グールドの10指それぞれが本当に独立しているのだ。
パートそれぞれが主張しつつも溶け合うその様子はピアノ1台が管弦楽団に勝る瞬間だ。ピアノは音域が広いため、よくオーケストラに例えられたりするが、正にそれを体現する。まるでブレンドされた香りが時折そのエッセンスの一つをのぞかせるようにエキサイティングな刹那だ。独立していても美しいが調和することで更に美しくなる。クラシック音楽と香りの醍醐味とはこれだろう。良いものとは複雑なのだ。
ちなみにリスト編は以前楽譜が楽譜出版で有名な春秋社から出版されていたが、残念なことに現在廃版のようだ。そりゃこの超絶難曲を弾きこなすプロもアマチュアもほとんどいないだろう(笑)。ベートーヴェンにはピアノの新約聖書と呼ばれるソナタ32曲があるのだから、そのピアノのために書かれた深遠なる傑作たちを追究するのが当然だ。しかし、楽譜のコレクト欲が高まるのは間違いない。
2020年はベートーヴェン生誕250周年だったが、世界に蔓延する新型コロナウイルスにより祝福イベントがかなり中止となってしまった。今春お部屋でリラックスしながら祝ってみてはいかがだろうか。
by writer Mitsuhiro Ebihara
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