BALLON JOURNAL Vol.45

BALLON JOURNAL Vol.45

スクリャービンで官能的な森林浴


今年2022年はスクリャービンの生誕150周年。彼の最もマイナーで難解と言われる最後のソナタ8番は、自然の中に身を投じている気分になる。葉、木々のざわめき、そよぐ風、轟く雷鳴、虫や取りの鳴き声、そう、森の中にいるようである。

スクリャービンというと、神智学にハマった神秘主義者。オカルティストなイメージが強い。悪魔的詩曲、舞い躍る愛撫、交響曲4番法悦の詩、交響曲5番プロメテウス、ソナタ7番白ミサ、ソナタ9番黒ミサなどなど曲名も神秘的なタイトルも多いことからなおさら狂信的なイメージが強い。

実際のところはどうであったか分からないが、神智学徒であったことは事実だ。彼の中期からその教義を解釈した、エクスタシーに向かい、神との合一=魂の救済がモチーフとなる曲が多い。曲全体として次第にクレッシェンドし、フォルテッシモ=クライマックス=エクスタシーとなるのだ。しかし、最晩年2013年夏に完成したソナタ8番は趣がちょっと違う。

演奏はスクリャービンの娘婿であったヴラディーミル・ソフロニツキーが鬼気迫っている。

全体的にスタティックな動きで統一されており、分かりやすくエクスタシーが無い。そこには自然、風、森のざわめきが聞こえる。スクリャービンは最晩年には自然との一体へと向かっていたのだ。スクリャービンは、「8番を瞑想すると、物理世界や力学法則を想起する」。和声について、「あたかも以前から存在し鷹野用に、自然から引き出され・・・」と述べている。このちょっと前に完成された「太陽と昆虫」と呼ばれるソナタ10番「昆虫」にもその萌芽が見られる。10番では「あらゆる草木や小さな動物たちは私たちの霊魂の顕現である」とスクリャービンは説明している。神への合一ではなく、自然との融合が人間の目指す究極であるかのような思想に達していたと推測する。

8番は10番をより押し進めた発展形と言え、まだまだ発展途上のスクリャービンの創造性を感じさせる。全体はスクリャービンが生み出した機能和声「神秘和音」に彩られ、大変官能的だ。爽やかな森というよりも、森の妖精ニンフが踊り狂う恍惚とした場をイメージする。長大な展開部は要素が断片的に現れては消えてゆく。霧の中を明滅するようにモヤモヤと要素が飛び交う。

スクリャービンは音、詩、舞踊、香りなどを総合した舞台作品『神秘劇』を構想していた。晩年の作品はこのための断片だった。そのため後期はどの音楽も香気漂う。5月は新緑。緑に溢れ、清々しく、陽光がや風が気持ち良い季節。しかし、大変爽やかでいまいち官能に欠けると感じる人はスクリャービンのソナタ8番で官能の緑を感じてみてはいかがだろうか。



by writer Mitsuhiro Ebihara 

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