BALLON JOURNAL VOL.9

BALLON JOURNAL VOL.9

聖なる夜は、官能色めくスクリャービンでGo Toトリップ

街にはイルミネーションが煌き、クリスマスソングが響く。12月のホリデーシーズンがやってきた!ヨーロッパでは厳かなミサ曲がそこかしこの教会で歌われる。日本ではベートーヴェンの第九がこの季節の風物詩だろう。

そもそもクリスマスはイエス・キリストの生誕日。祝祭的であり厳かな曲が似合う。クラシック音楽では、バッハのミサ、チャイコフスキーのくるみ割り人形なんかがクリスマスの定番だろう。しかし!キリストの生まれ変わり(と妄想していた人)の曲を聴く方がもっとクリスマスらしいだろう。ユリウス暦のロシアに1871年1225日(グレゴリオ暦187216日)に生まれた作曲家アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンはイエスの生まれ変わりと自認していた。自分の音楽で世界を救済すると本気で思っていた(多分)。

スクリャービンの日本での認知は高くないが、これほど中毒性のある作曲家はいない。ラフマニノフの1個上で、モスクワ音楽院の同期で友人だったと言えば少し親近感がわくだろうか。卒業時にはラフマニノフが1位、スクリャービンが2位でツートップ。見事なピアノの腕前なので多くのピアノ作品を残した。左手が縦横無尽に動くため左手のコサックと形容され、耳触りの良い旋律のためにロシアのショパンとも言われる。その通り初期はショパン丸出しな作風だったが、後年神智学に傾倒してからというもの独自の音響世界を開拓し、時代の先端を走った。

音楽史に革新を起こした作曲家は数人いるが、彼もその一人だ。「神秘和音」という独自の音楽語法を編み出し、20世紀音楽への扉を開いた。1915年までというスクリャービンの短い生涯の中で後期に位置付けられる作品53番以降の作品群は人類の遺産だ。ヴェールが掛かったような響き、半音階で進む不安感を駆り立てる旋律は非常に官能的で人を陶酔させる。慣れると一聴してスクリャービンとわかるだろう。後期の大規模作品は徐々に音量が大きくなりクライマックスへと昇り詰める構成で、これはスクリャービンが目指した神との合一=エクスタシーを表現している。エクスタシーにより人類が救済されると彼は信じていた。

後期作品の中にクリスマスにぴったりだろう、ミサと付けられた二つの曲がある。ピアノソナタ7番「白ミサ」、9番「黒ミサ」だ。スクリャービンは自作を神聖なもの、邪悪なものに大別していたのだが、7番は神聖カテゴリーに属し、演奏することはスクリャービンにとってミサを執り行う行為と等しかった。後半鳴り響く右手の和音は天使の囀りという。

ロシアの豪腕ヴォロドスの演奏を聴いてみよう。




邪悪カテゴリーの9番は作曲家自身が命名したわけでは無いが、その悪魔性は認めていた。このソナタは呪術的な同音連打や分かりやすくラストでクライマックスへ向かう構成が音楽とエクスタシーを結び付けた佳曲となっている。


スドビンは同音連打が変態チックでゾクゾクする。




そして黒ミサの成功を受け継ぐのが、死の前年に書かれたピアノ曲「炎へ向かって」だ。ロウソク1本からだんだんと火が増えていき、最後はトレモロと和音の連打でまばゆいばかりの光が表現される。全体としてクレッシェンド(だんだん大きく)していく構成は、力学のみで導かれた音の究極と言っても良い。クリスマスケーキのロウソクからイルミネーションを通り越して太陽の燦然たる光がやってくる。気分はもう初日の出だ(笑)。

ピアノ曲以外にもクリスマスに相応しい祝祭的かつ厳かな曲がある。ピアノ独奏付き交響曲第5番「プロメテウス 火の詩」は音だけでなく光の演出も構想した彼の代表作。鍵盤を弾くと音に対応した色が光る色光ピアノによる演奏が前提となっている。しかも終盤では白装束に身を包んだ合唱団が母音唱法で唸るという、なんともオカルティックな作品だ。現代でもたまに再現を試みるライブが催されている。

日本のNHK交響楽団が以前公演した。アシュケナージ指揮、ヤブロンスキーピアノという豪華な布陣。




スクリャービンは共感覚の持ち主で音を聴くと色が見えたという。ゆえにプロメテウスに限らず、各作品はとても色彩的だ。正直初聴は不協和音の連続で意味不明かもしれないが、聴き重ねるうちに脳に沁みこんで陶然としてくるだろう。

ここまで読んでうーん、クリスマスなんだから恋人と過ごすのに打って付けのわかりやすい甘い選曲をお願いしますよ、言う人もいるだろう。それこそ初期スクリャービンの十八番だ。ショパンなんか聴いている場合じゃない。チャイコフスキーは可愛すぎる。ラヴェルはエロスが足りない。スクリャービンのソナタ24番、練習曲Op42-5あたりを聴いてほしい。海を表現した2番幻想ソナタ、星が歌うという3番の3楽章、空間がとろけるかのような4番。Op42-5は音楽史上最も甘美と言っても過言ではない極上の旋律が待っている。狂おしいその旋律は官能を高めてくれること間違いない。

でも!本当の官能は後期作品群にある。プロメテウスで萌芽を見せたように、その独特で官能的なスクリャービンの創造は音楽だけでなく光や舞踏、香りも合わせた総合芸術へと向かっていった。スクリャービンは晩年、ヒマラヤに舞台を造り、そこで7日間かけて上演する「神秘劇」を構想していた。終演後、世界が変貌すると吐露していたという。43歳にして敗血症で急逝したため叶わなかったのが残念でならない。そんな空前絶後の作品を残してほしかった。

とてもファナティックで、エロティックで、スピリチュアルで、サイケデリックなスクリャービン。神秘劇ではどんな香りを点てるつもりだったのだろうか?きっと煽情的・幻覚的な芳香だったに違いない。新型コロナウイルス感染が拡大し、Go Toがネガティブな印象の年末。聖夜はスクリャービンの音楽と香りをマリアージュして、法悦の世界へGo Toトリップ!


by writer Mitsuhiro Ebihara

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